SIG-GameScenario、インタビュー記事「ゲームシナリオ会社フラグシップの軌跡」(前編)を発表

フラグシップというゲームシナリオ会社が存在した。「バイオハザード2」や「鬼武者」などヒット作品のゲームシナリオを作成したゲームシナリオ会社である。

シナリオライター杉村升と株式会社カプコンに在籍していた岡本吉起が設立し、上原正三など著名なシナリオライターが参加したというゲームシナリオ会社は、2007年に、カプコンに吸収合併される形で解散する。

IGDA日本のゲームシナリオ分科会では、フラグシップに参加したシナリオライター宮下隼一氏にインタビューし、当時のことを語っていただいた。

◆宮下隼一(みやしたじゅんいち)

シナリオライター。シナリオライター永原秀一の弟子で「西部警察」でデビュー。「特捜最前線」などのドラマに参加後、東映特撮作品に主な活躍の場を移す。「特捜ロボジャンパーソン」「忍風戦隊ハリケンジャー」などにメインシナリオライターとして参加。シナリオライター杉村升に誘われフラグシップに参加。

ーーゲームシナリオ分科会:まずはフラグシップの設立の経緯などを教えてください。

宮下:時期的には「バイオハザード1」の発売後、「バイオハザード2」の開発中に、なにかのパーティーだったかと思いますが、岡本吉起と杉村升が出会い、意気投合し、設立したそうです。当時の岡本さんにしてみれば、シナリオの重要性を感じていたためだと思います。

ーーフラグシップにメンバーとして、声をかけられた経緯などを教えてください。

宮下:自分が「西部警察」終了後、東映の特撮番組に参加した時、以前、別の刑事もので知り合っていた杉村升と再会しました。当時、メタルヒーローや戦隊もののシナリオチームは、それを率いる東映の堀長文プロデューサーにちなんで、堀学校なんて呼ばれていました。

そんな時、フラグシップができて、自分もゲームが好きだったので、参加を要請されました。

ーー主催者であった杉村先生はどのようなタイプのシナリオライターでしたか?

宮下:シナリオの作風はオールマイティの一言に尽きます。アクション、人情もの、ハードボイルド、どんなジャンルでも、オリジナルを出せるシナリオライターでしたね。

性格は、繊細な武闘派(笑)。

フラグシップでは作品ごとに、必ず美麗な印刷台本を作り、杉村の指示で、末端の若手スタッフまで名前を入れていました。武闘派でも繊細、かつ人情味のある親分肌でしたね。

そして趣味といえばゲーム。とにかく杉村はゲームが大好きでした。特にRPGとシミュレーションが大好きでした。

ーー杉村先生は、どのようなお考えでフラグシップを運営されていたんでしょうか?

宮下:ゲームシナリオのプロフェッショナル集団を目指しながら、フラグシップでオリジナルゲームを作ることを最終目的として掲げていました。

そして参加するシナリオライターには常々、「ユーザー側に立つように。ユーザーができることを邪魔してはいけない」と言い聞かせていました。

ゲームシナリオはドラマのシナリオとは違うという、今では誰もが知っている事実を当時から実践していたと思います。

今でも、心に残っている言葉は、「ゲームには、ユーザーの体が半分入っている」という言葉。これはゲームというメディアを知っていないと言えない言葉ですね」

ーーフラグシップに参加した他のメンバーについても教えてください。

宮下:経営陣の岡本吉起はやんちゃなガキ大将みたいなタイプ。ゲーム制作の現場側には、当時、カプコンの三上真司氏もいましたね。

そして顧問としてシナリオライターの上原正三と高久進を迎えていました。

現場作業のリーダーは杉村升と曽田博久が務め、自分はやや補佐的な立ち位置でした。

その下に若手としてシナリオライターの吉田伸や鈴木やすゆき、酒井直行、漫画原作者のいしぜきひでゆきなどがいました。

確か、月刊ドラマだったかシナリオ誌で一回ほど募集をかけて、採用されたのが吉田伸だったように思います。

また男ばかりだったので、女性が欲しいと杉山升が鷺山京子を参加させました」

ーー東映特撮チームの有名シナリオライター総動員といった態ですね。

宮下:杉村升や自分たちシナリオライターのチームは東映の堀長文プロデューサー率いる堀学校なんて呼ばれていましたが、それがごそっとフラグシップに移動したような感じですね。

のちに、深作欣二監督がフラグシップに招聘された時は、東映を定年退職された堀さんまでもが、演出補佐的な立場のプロデューサーとして参加してくれたくらいですから。

ーーフラグシップで思い出に残るタイトルはありましたか?

宮下:「バイオハザード CODE:Veronica。

シナリオだけでなく、自分たちフラグシップが仕様を含めたアイデアを提案して、追加されたタイトルでしたから。シナリオだけの参加ではないので思い出深いです。

ーーそしてフラグシップはたくさんのゲームシナリオを作りながら、最終的な目標であるオリジナルゲーム作りに進んでいくわけですね。

宮下:そうです。そしてフラグシップと杉村升はある壮大な計画を進めていましたね。

ーー壮大な計画? ぜひ教えてください。

以上が前編です。続きは後編で。

注釈

杉村升(すぎむらのぼる):1948年生。シナリライター。小川英の弟子で「太陽にほえろ」でデビューする。「仮面ライダーBLACK」「時空戦士スピルバン」「恐竜戦隊ジュウレンジャー」など東映の特撮番組を中心に活躍した。2005年、鬼籍に入る。

小川英(おがわえい):1930年生。1960年代の日活アクションの黄金期を支えたシナリオライター。テレビドラマに活躍の場を移し、「太陽にほえろ」ではスタートから終了まで携わる。

堀長文(ほりながふみ):1936年生。演出家、プロデューサー。「科学戦隊ダイナマン」より特撮作品の演出を担当する。また「仮面ライダーBLACK」から「刑事追う!」までプロデュースを務めた。

永原秀一(ながはらひでいち):1940年生。シナリオライター。1967年に日活映画「拳銃は俺のパスポート」でデビュー。1970年代は活躍の場をテレビドラマの世界に移し、特に「大都会」「西部警察」シリーズなど刑事アクション作品に参加した。

岡本吉起(おかもとよしき):1961年生。ゲームプロデューサー。株式会社ゲームリパブリック代表取締役社長。元カプコン専務取締役。1997年にフラグシップを設立、代表取締役社長を兼任する。

上原正三(うえはらしょうぞう):1937年生。シナリオライター。「ウルトラQ」でデビュー。「帰ってきたウルトラマン」「がんばれ!!ロボコン」や「秘密戦隊ゴレンジャー」「宇宙刑事ギャバン」「宇宙刑事シャリバン」などに参加。「宇宙海賊キャプテンハーロックテレビアニメーション作品も手がける。

曽田博久(そだひろひさ):1947年生。タツノコプロの「アニメンタリー 決断」でデビュー。「秘密戦隊ゴレンジャー」「太陽戦隊サンバルカン」「大戦隊ゴーグルファイブ」などに参加。

高久進(たかくすすむ):1933年生。シナリオライター。新東宝の映画「九十九本目の生娘」でデビュー。「Gメン‘75」の中心ライターとして有名であり、「マグマ大使」「秘密戦隊ゴレンジャー」「超力戦隊オーレンジャー」などにも参加した。

吉田伸(よしだしん):1966年生。アニメーションや特撮分野で活躍しているシナリオライター。「ウルトラマンダイナ」「ウルトラマンガイア」に参加する。

酒井直行(さかいなおゆき):1966年生。シナリオライター。「特捜エクシードラフト」などに参加する。

三上真司(みかみしんじ):1965年生。ゲームデザイナー。元カプコン第4開発部部長。現在はTango Gameworks代表。

いしぜきひでゆき:1963生。漫画原作者、シナリオライター。劇画村塾出身。代表作は「コンシェルジュ」他。

鈴木やすゆき(すずきやすゆき):シナリオライター。「怪盗セイント・テール」など主にアニメ―ションの分野で活躍している。

鷺山京子(さぎやまきょうこ):1951年生。シナリオライター。タツノコプロの作品「てんとう虫の歌」でシナリオデビュー。その後は東映特撮テレビドラマなどで活躍する。

インタビュアー:山野辺一記(シナリオライター・IGDA日本・ゲームシナリオ分科会正世話人)

インタビュー場所:株式会社エッジワークス会議室

日付:2017/3/13