モノの道理をわきまえるAIは作れるか? SIG-AI「荘子と人工知能の解体」レポート記事掲載(動画公開)

その程度の小知ならば捨ててしまえ

荘子を巡る逸話で最も有名なものが「胡蝶の夢」でしょう。「夢の中で胡蝶(蝶)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか」というものです。これに対して荘子は「どちらが真実かは問題ではなく、いずれも肯定して受け入れ、それぞれの場で満足して生きれば良い」と論じます。ここには「その程度の小知ならば捨ててしまえ」という荘子の思想が表現されています(Wikipediaより

SIG-AI正世話人・三宅陽一郎氏

このように荘子は、人間は自らが生み出した概念に囚われるあまり、時に国を滅ぼすと批判。むしろ小知を捨てて、自然の中にある道(道理)と一体化することで、人間は賢くなれると唱えました。背景にあるのが、荘子が生きた中国の春秋戦国時代。孔子、老子、墨子、孟子、荀子などさまざまな思想家が登場したものの、結局は戦乱にあけくれ、国の滅亡が繰り返されます。その中で庶民は塗炭の苦しみにあえぎ、権力者と取り巻きだけが得をする、というわけです。

これに対して荘子は「世間には変幻自在な混沌の中に流れる根源的な流れ(道)があり、その道に従って自然に振る舞えば、自然に良い行いができる。そして、その道と一体化することで、人は知を越えた『不知の知』が得られる」と説きます。逆に「道」を利用して賢くふるまおうとすると、失敗すると批判。自らも権力者から一線を画し、窮乏の生活を送りました。こうした思想は現代の認識論にも通じる部分があり、荘子の冷徹な人間観察の結果だといえるでしょう。