SIG-GS 世界のビジュアルノベルゲームは今。【第3回】を開催しました

IGDA日本SIG-GSは2019年7月1日、「世界のビジュアルノベルゲームは今。【第3回】」セミナーを開催しました。テーマは「ビジュアルノベルゲームの過去・現在・未来」で、ゲームジャーナリスト・アドベンチャーゲーム研究家の福山幸司氏が登壇し、黎明期から現在にいたるまでの日本と海外のアドベンチャーゲームの系譜について解説しました(取材・文:神山大輝)

今回のテーマは「ストーリーを楽しむものとしてのビジュアルノベルに至る歴史」。1982年に日本初のアドベンチャーゲーム『表参道アドベンチャー』が誕生する以前から、海外ではアドベンチャーゲームが市場流通されています。

一方、「ビジュアルノベルゲーム」という名称自体はLeafの『零(1996年)』が「リーフ・ビジュアルノベル」と銘打ったのが始まりで、更に歴史を遡ると1992年発売の「弟切草」などのサウンドノベルがルーツとなります。本講演では、どのように日本のアドベンチャーゲームが発展したのか、そしてビジュアルノベルゲームとなった後にどのように波及したのかが語られました。

アドベンチャーゲームの原点は1975年後半にウィリアム・クラウザー氏が開発した『コロッサル・ケーブ・アドベンチャー』で、洞窟から宝を集めて小屋に持ち帰るというテキスト主体の、キーボードでコマンドを入力しながら遊ぶゲームでした。1976年に、同作に感銘を受けたドン・ウッズ氏がおよそ倍のスケールにアップグレードし、これがインターネットの前身であるARPANETを通じて大流行したことで、後の世に登場する数多くのゲームジャンルに影響を与えました。

その後、スコット・アダムス氏が設立したアドベンチャー・インターナショナル社が『Adventureland(1978)』や『Pirate Adventure(1979)』を発売し、宝を集めていくという行為そのものに冒険小説やスパイ小説的なストーリー性をもたせて、アドベンチャーゲームを商売として売り出しました。また、シエラ・オンライン社のロバータ・ウィリアムズ氏は、その当時すでに主流となっていたグラフィックスによる表現をアドベンチャーゲームに持ち込み、『ミステリーハウス(1980)』を開発。はじめてビジュアルを伴ったアドベンチャーゲームが登場しました。

雑誌メディアから日本へ伝来

国内におけるアドベンチャーゲームは『POPEYE』や『ホットドッグプレス』、『ブルータス』などのカルチャー系雑誌で「アメリカの人気ソフトウェア」として数コマ程度に紹介されていましたが、特に1ページにも渡って大きく取り上げられたのは『月刊アスキー』1982年4月号でした。同号にはピーター・S・スカーギル氏によって開発されたADV開発ツール「Adven-80」を改造して『表参道アドベンチャー』が掲載されています。

その後、日本初のグラフィックがついたアドベンチャー『ミステリーハウス(シエラ・オンライン社のものとは別の国内タイトル)』が発売され、翌年には登場人物と会話しながらストーリーを進めていく『ポートピア殺人事件』『鍵穴殺人事件』『惑星メフィウス』などが発売されました。

海外と日本のアドベンチャーゲームを二分したタイトルは国内未発売の『キングス・クエスト』。IBM PCjrの初期タイトルとして開発された同作は、三人称ADVとして1990年頃まで入力インターフェイスを変えながら存在し続け、欧米でのアドベンチャーゲームのスタンダードとなりました。

福山氏は、「Apple IIが高値の華だったため、多くの日本人の開発者は、海外のアドベンチャーゲームを実際には触らず、雑誌の紹介や口コミだけで想像力を膨らませました。これが日本独自のアドベンチャーゲームが生まれたきっかけです」と説明しました。

なぜ、日本国内でアドベンチャーゲームは「宝探しゲーム」ではなく、ミステリーなどに代表される「対話型ゲーム」が主流となったのか? これについて、福山氏は「おそらく(雑誌での『ミステリーハウス』の紹介文を見て)アドベンチャーゲームはキャラクターと会話するものだと、一部のゲーム開発者が思い込んだ要因と、同時期に主人公が刑事となって対話するアドベンチャーゲームの先駆け『Deadline』が雑誌で紹介されたから」と説明しています。また、海外のアドベンチャーゲームで転換点となった三人称視点のアドベンチャーゲーム『キングス・クエスト(1984年)』が国内で発売されなかったこともあり、日本のアドベンチャーゲームは独自に獲得した「キャラクターとの会話からストーリーを描くこと」を中心に発展していきます。

こうした中、国内最初の本格的なタイトルとして大きな指標といえるのは、堀井雄二氏による『ポートピア連続殺人事件』でした。応答するコンピューターをヤスという相棒として擬人化し、相棒と対話しながらゲームを進めるというインターフェイスがユニークでした。また、従来のアドベンチャーゲームでは東西南北を指定して、少しずつ移動する空間だったのに対して、同作は場所を指定して、瞬間的に目的地に移動することが革新的であり、「堀井氏がアドベンチャーゲームをあまりプレイしておらず、空間の概念がわからなかった」ことから生まれたオリジナリティだったと福山氏は説明します。なお、堀井氏は1984年には『オホーツクに消ゆ』において、コマンド選択型アドベンチャーゲームも確立しています。

また、ストーリーを語る上で重要なのが「主人公の確立」です。当時は主人公が喋るアドベンチャーゲームは稀でしたが、『ポートピア連続殺人事件』ではプレイヤーが入力するコマンドが、相棒ヤスに対する台詞として機能しています。『軽井沢誘拐案内(1985年)』『TOKYOナンパストリート(1985年)』では、コンピュータによる応答文が主人公の台詞と一体化したことで、独り言を話しながら物語が進行する仕組みが生み出されました。 

1990年代になってアドベンチャーゲームの流行が一旦落ち着いたのち、各社は新たな表現を探して様々なタイトルを生み出します。その中のひとつがノベルゲームの最初の1作である『弟切草(1992年)』です。同作では従来のようなコマンド選択がなくなり、近代小説的な文章と、主人公の心情的な選択肢でストーリーを描きました。また、同時期に発売された恋愛ゲーム『同級生』は、ヒロインを「口説き落とす」のではなく、悩みを解決して「救済」する方向性を鮮明にしました。このことが『かまいたちの夜(1994年)』のバッドエンドを繰り返しながら犯人を見つけるループ的な遊びを経て、『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO(1996年)』における美少女ゲームの「ループもの」の概念に応用されていきます。

当時、アクアプラスの専務だった下川直哉氏は、こうしたチュンソフトのノベルゲームと美少女ゲームを掛け合わせることを、脚本家・高橋龍也氏に提案しました。そこから生み出された『雫(1996年 / 冒頭でも述べられた通り、最初にビジュアルノベルゲームという呼称を用いたタイトル)』『痕((1996年)』『To Heart(1997年)』によって、ビジュアルノベルゲームに「日常系・バトルもの・伝奇SF・感動・家族」などの要素の種が撒かれました。こうした要素が、Keyによる『One~輝く季節へ~(1998年)』、『Kanon(1999年 / “泣きゲー”の金字塔となったタイトル)』へと受け継がれて行きます。続く『AIR(2000年)』、集大成とも言える『CLANNAD(2004年)』などの作品群が、今日のビジュアルノベルゲームの伝播および基礎を形作る確かな要素となりました。

2000年から今日までのビジュアルノベルゲームと、これから

90年代後半から吉里吉里やNScripterなどの開発ツールが登場し、 『月姫(2000年)』や『ひぐらしのなく頃に(2002年)』などの同人ノベルゲームの波が到来します。また、Leaf、Keyを筆頭に、ニトロプラスやオーバーフロー、5pbなどがアニメ化を中心としたメディアミックスに成功し、数多くの作家が台頭しました。さらに、ゲームボーイアドバンスなどの携帯機では『逆転裁判(2001年)』や『レイトン教授(2007年)』などのアドベンチャーゲームが復権し、コンソールでは『シュタインズ・ゲート』が異例のヒットとなりました。
2010年後半になると、『ZERO ESCAPE 刻のジレンマ(2016年)』や『大逆転裁判2((2017年))』や『ニューダンガンロンパV3(2017年)』などシリーズものの集大成となるクオリティの高いタイトルが相次ぎ、現在ではVRなど新たなデバイスを用いたビジュアルノベルゲームも登場しています。

他にもアドベンチャーゲームやビジュアルノベルが視覚的な観点から発展していったことや、「グランドフィナーレ(特定キャラを救い、特定キャラが救われないといった問題を解決するために登場したトゥルーエンド)」の発祥、中国におけるビジュアルノベルの流行に『恋愛シミュレーションツクール2(2001年、中国・台湾版が2004年)』の存在が大きいことなどに関する説明も行われました。

福山氏近影

福山氏は最後に「『コロッサル・ケーブ・アドベンチャー』も、TRPGの『ダンジョンズ&ドラゴンズ』から成長要素を取り払うという引き算の要素で生み出されています。『弟切草』も、コマンド選択型アドベンチャーからグラフィックを取り払うことでアドベンチャーを再構成しました。引き算によってスタイルが先鋭化されるのかも知れません」と述べ、歴史の文脈を失わないために今後も調査やインタビューを継続的に行っていくと講演を締めくくりました。