時と存在はなぜ表裏一体なのか/SIG-AI人工知能のための哲学塾 東洋哲学編 第参夜「仏教と人工知能」レポート

人工知能の主体的時間を東洋哲学で捉え直す

自我を持つ人工知能の開発について議論する「人工知能のための哲学塾」。2017年7月13日に開催された第参夜では「仏教と人工知能」と題して、いつものように株式会社Donutsのセミナールームで開催されました。セミナーは2部構成で行われ、1部ではSIG-AI世話人の三宅陽一郎氏が、曹洞宗の開祖・道元の著作「正法眼蔵」から「有時(うじ)の章」を手がかりに、「人工知能と主体的時間」に関する自説を展開。2部ではその内容を受けて、参加者全員がグループディスカッションを行いました。

コンピュータ上のソフトウェアとして動作する人工知能。そのため人工知能にとっての時間感覚も「CPUのクロック周波数の計測でこと足りる」と思われがちなのだとか。これに対して、人間には「遊んでいる時は短く感じ、つまらない授業は長く感じる」といった、主観的な時間感覚があります。この違いはどこから来るのか。三宅氏はベルクソンやハイデガーをはじめ、これまで多くの哲学者がこの説明に取り組んできたと切り出しました。

それでは、人工知能も同様に主観的な時間感覚を持ち得るのでしょうか。この問いかけに対して、「哲学塾」では西洋編の第四夜「デリダ・差延・感覚」で議論が行われました。今回はその内容をもとに、東洋哲学の視点から議論が深められた、カウンターパートとなります。また、東洋編第弐夜「井筒俊彦と内面の人工知能」の議論を引き継ぎ、さらに発展させる内容ともなりました。いずれも過去のレポート記事や講演動画が公開されていますので、あわせてご覧ください。

三宅陽一郎氏(左)と犬飼博士氏(右)