SIG-AI人工知能のための哲学塾 第5夜「メルロ=ポンティの知覚論」レポート記事

将棋に続き、囲碁でも人間を打ち破るなど、めざましい進化を遂げているAIの世界。しかしゲームでは、その恩恵がほとんど得られていないような印象を受けます。ゲームの大作化が進行した結果、個々のクオリティは先鋭化したものの、ジャンルの多様性が減少してしまったからです。結果としてAIは進化したにもかかわらず、AIをウリにしたゲームは激減しているのが現状です。

もっとも「革新的なゲームAI」の作り方がわからない、という問題もあります。たとえば「人間の対戦相手」ではなく、「人間らしいキャラクター」をどのようにすれば作れるのか。そのヒントが「哲学」にあるとして、さまざまな議論が続けられてきたのがSIG-AI「人工知能のための哲学塾」です。425日に開催された最終夜も、「メルロ=ポンティの知覚論」をテーマに、さまざまな議論が展開されました。

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講演者の三宅陽一郎氏(右)と、全体進行を担当した犬飼博士氏(左)


SIG-AI
正世話人の三宅陽一郎氏は冒頭、「身体運動によって解釈される世界とは何か」というテーマを掲げました。これには現在のゲームキャラクターには身体感覚が欠けているという問題意識があります。グラフィックは美麗なのに、ふるまいが人間らしくないため、遊んでいて興ざめしてしまう。その理由の一つとして上げられるのが、ゲームキャラクターが自己の身体を認識しているように感じられないという点です。

では身体感覚とは何でしょうか。ここで重要になるのが「知能は単独で存在できず、身体や環境といった外的要因との関係性の中で存在する」という考え方です。一見すると当たり前のようにも聞こえますが、現在のゲームキャラクターはAIによる意思決定によって上意下達的に行動が行われるだけで、外的要因との関係性が極めて薄い(足裏の傾きを接地面とあわせるなど、I.K.による微調整が行われる程度)のが現状です。

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そこで講演では、「身体感覚(=脳と体の間でどのような処理が行われているか)」「運動感覚(=身体はどのように環境と関係性を持つか)」「主体的環境の与え方(=脳は身体を通して、どのように環境を認識しているか)」という三部構成を通して、この問題について掘り下げられました。「非常に大きな分野なので、あくまで考え方の指針を提供することしかできませんが、議論を深めていければ幸いです」(三宅氏)