人工知能のための哲学塾・東洋篇 第零夜 開催レポート

LINEで送る
Pocket

「ゲームキャラクターは自我を持ち得るか」という大命題を掲げてスタートした「人工知能のための哲学塾」。IGDA日本SIG-AIによる全6回の連続セミナーで、2015年5月から2016年4月まで約1年弱にわたり実施され、書籍にもまとめられました。この試みが新たに「東洋哲学篇」と名称を変え、再び全6回(第零回、第一~五回)の連続セミナーで開催されることが決定。2017年1月23日に「第零回」が開催され、今後行われる議論の全体像が提示されました。

なお、「人工知能のための哲学塾」では毎回、三宅氏が議論のたたき台となる講演を行い、その後に参加者が各トピックごとにグループディスカッションを行います。本講ではこのうち、講演部分の概要をレポートします。

定義できないモノを工学的に作る

さて、今や空前の人工知能ブームで、マスコミでは連日のようにAIの話題が取り上げられ、関連書籍が多数出版されている昨今。しかし「知能」の本質を掴んだ人はいません。このように「定義できないものを研究・実装する」点が人工知能のユニークな点です。そもそも「知能とは何か」という問いかけは、哲学的領域に属するといえるでしょう。そのため人工知能の研究や開発には科学的・工学的・哲学的アプローチがあり、実装を通して知能の本質に近づいているところ……三宅氏はこのように現状を整理します。

SIG-AI 三宅陽一郎氏

しかし「西洋哲学篇」をひとまず終了して、このまま議論を続けることに難しさを感じてきた点があると三宅氏は語りました。森羅万象を記号的に分解し、再構築することで知能を創り上げようとする西洋的な哲学思想は、人工知能の中でも知識表現や言語処理といった高次の機能と相性が良く、ゲームAIにも応用されています。しかし、知能には運動や身体といった、より低次の機能も含まれています。そして西洋的な哲学思考だけで捉えるには限界があるというのです。

もっとも西洋哲学の側でもこの問題は認識しており、20世紀に入ってデカルト的哲学をベースに現象学を生み出しました。しかし、こと日本人の視点からすれば、現象学はどこか捉えどころがないようにも感じられます(詳細は西洋篇・第壱夜を参照)。ところが、同じ問題に東洋哲学の側から光を当ててみると、より直感的に問題が整理されることが多いのだとか。物事を分解せずに、ありのままに捉える東洋哲学の考え方が、我々の文化に根ざしているからだとも言えるでしょう。

ただし、東洋哲学はトートロジーや矛盾の中で本質を言明する点に特徴があります。そのため門外漢にはしばしば何も言っていないようにも聞こえます。「仏は無知である。その無知の故で知らざる所無し」(浄土論注、巻下、二十庁)と言われても、「そうですね」としか言いようがありません。そのため三宅氏は東洋哲学がそれ自体で人工知能の理論を創り出すわけではなく、西洋哲学篇の補完として東洋哲学篇の議論を進めて、最後に再び西洋哲学篇に戻りたいとしました。